この記事でわかること

  • 従業員に支払う手当は就業規則に記載しなければならない
  • 就業規則に記載がなくても、長期間支払っていた事実があれば労使慣行とみなされる
  • 就業規則と異なる取扱いが長期間行われている場合、その実態が優先される

就業規則に定めていない資格手当を支払わないことは可能?

医院が従業員に資格手当を支給することがあります。

医療関係の資格は、看護師、理学療法士、歯科衛生士、医療事務、診療報酬請求事務など多岐にわたります。これらの資格を保有している従業員に対し、基本給に上乗せして毎月支払われるのが資格手当です。

場合によっては、資格試験に合格した従業員に一時金として合格報奨金などを支給する医院もあるかもしれません。

本来、従業員に支払う手当は就業規則に記載しなければなりません。

労働基準法第89条2項に定める通り、賃金の決定方法や計算方法は就業規則の絶対的記載事項とされているためです。ですが、医院によっては、就業規則に記載されていないものの、長年支払われてきた資格手当があるかもしれません。

長年支払っていた事実があれば労使慣行と見なされる

そもそも、就業規則に記載されていない資格手当を支払う必要はありません。

しかし、何かのきっかけで有資格者に資格手当をつけることになり、無資格者に資格取得を促し、有資格者のモチベーションを上げることができたと仮定します。
ただ、その時点で就業規則に資格手当について記載することなく、長い期間が経過し、従業員全員に「該当資格を取得すれば、資格手当が貰える」という認識がありました。
では、院長は賃金体系を見直し、それまで支払っていた資格手当を根拠のないものとしてカットしてもよいのでしょうか。

実は、就業規則に記載されていない資格手当でも、長年支払っていたという事実があれば労使慣行とみなされます。言い換えれば、従業員にはその資格手当を受ける権利があるとされるのです。

労使慣行とは

労使慣行を定義すると、「労使間で慣例として行われている労働条件等に関する取扱い」となります。
つまり、はっきり定められていなくても、労働者と使用者の両方が当然のものと認識している労働条件です。
根拠として挙げられるのは、民法第92条の「法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う」という条文です。

どのような場合に労使慣行と判断されるのか

では、具体的にどのような場合に、労使慣行ができあがるのでしょうか。

その点は裁判例が参考になります。

たとえば、「商大八戸ノ里ドライビングスクール事件」では、長期間にわたり反復継続していること、明示的に排除されていないこと、決定権を有している者が認めていることなどの条件を満たす場合、法的拘束力のある労使慣行が成立していると判断されました。

この事件は、会社の人事異動で新しく着任した部長が、諸手当の支給について実態ではなく就業規則に従って取り扱おうとしたところ、労働組合がこれに反発したというものでした。

就業規則に記載されていない事実であっても、多くの従業員に対して長期間行われているもので、労使双方がそれを認めている場合には、その慣行が労働契約の一部となり、労使関係を規制するものとなるのです。

この考え方を医院の資格手当に当てはめてみましょう。
もし、院長が従業員の保有する資格を確認し、「その資格ならこの金額になりますね」と手当を決定して支給し、同じ資格を保有する他の従業員にも同じ手当が支給されているなら、従業員はどう思うでしょうか。
当然、今後もその手当が定期的に支給されることを期待するのではないでしょうか。

そうであれば、たとえその資格手当について就業規則に定められていなくても、労使慣行として労働条件の一部になると考えるのが適切でしょう。

労使慣行と就業規則はどちらの拘束力が強い?

では、就業規則と労使慣行は、どちらの拘束力が強いのでしょうか。

言い換えれば、就業規則に反する労使慣行が成立することはあるのでしょうか。

参考になるのは、「日本大学(定年)事件」の裁判例です。

詳しくは、 公益社団法人 全国労働基準関係団体連合会にて掲載されている判例をご覧ください。

そこでは、「労使慣行は、それが事実たる慣習として、労働契約の内容を構成するものとなっている場合に限り、就業規則に反するかどうかを問わず、法的拘束力を有する」と述べられました。

つまり、就業規則と異なる取扱いが長期間行われている場合、その実態が優先されるということです。

ただ、就業規則を作成した時点では、その規定は少なくとも使用者の考えを反映していたはずです。

ですから、就業規則よりも優先される労使慣行ができあがるまでには、その事実が相当に長い期間にわたって継続していることが必要になります。

労使慣行が成立した資格手当のカットは不利益変更に当たる

ここまでの考えに当てはめると、院長は就業規則に定められていないものの労使慣行が成立している資格手当をカットできるでしょうか。

この場合、資格手当をカットすることは、就業規則の不利益変更に当たるものとなります。

就業規則の不利益変更とは、使用者が労働者にとって不利益になるような形で、就業規則を一方的に変更することです。これは、使用者側の権利の濫用とみなされ、合理的な理由がない限り禁止されています。

そして、労使慣行が成立して労働条件の一部になっている場合、労使慣行を一方的に変更することも権利の濫用になります。ですから、合理的な理由がない限り、院長による資格手当のカットは無効となってしまいます。

労使慣行が成立した資格手当のカットは不利益変更に当たる

では、労使慣行による事実上の取扱いを継続せずに解消したいのであれば、どうすればよいでしょうか。

それが不利益変更とみなされないよう、一定の手順を踏む必要があります

①従業員へ説明し、同意を得る

まず、労使慣行の対象となっている従業員に個別にお知らせし、不利益変更について同意を得なければなりません。今回の例では、資格手当を支給している従業員に対し、カットする理由や時期を丁寧に説明してください。なお、翌月からすぐカットするのではなく、猶予期間を十分に設けて不満を招かないようにするのがよいでしょう。

②トラブル回避のため、同意書をもらう

その後のトラブルを回避するため、一人一人から同意書をもらってください。同意書に形式はありませんが、資格カット後の給与や変更日について分かりやすく記載した書類を作成し、従業員に署名してもらうことができます。

まとめ

就業規則に記載されていなくても、長い期間にわたる取扱いが労使慣行として労働条件の一部となる場合があります。労使慣行は法的拘束力を持ちますので、文書になっていないからといって一方的に解消することはできません。
諸手当に関する労使慣行を解消する場合、従業員は難色を示す可能性があります。丁寧かつ慎重に説明し、同意を得るよう努めましょう。そして、労働条件は常に書面にし、無用なトラブルを避けるようにいたしましょう。